実録!株式会社サイバーエージェント取締役 人事統括曽山哲人 氏が語る仕事論

CxOへのキャリアルート!成功と失敗体験を公開!|サイバーエージェント曽山哲人|CxOの履歴書チャンネルVol.001

企業名
株式会社サイバーエージェント (東証一部)
出演者
CHRO 取締役 人事統括
曽山哲人

「CxOの履歴書チャンネル」記念すべき第1回目ゲストとして、サイバーエージェント取締役人事統括の曽山哲人さんにお越しいただきました!

よろしくお願いいたします!

ありがとうございます!お忙しい中に本当にありがとうございます。
今日このチャンネルがまさに今日からスタートしました。そこで、お1人目をどなたにしようかと考えておりまして、チャンネルタイトルは「CxOの履歴書チャンネル」の通りで、CxOの方にゲストにお越し頂いて、その方のキャリアを深堀して、”成長した瞬間”や”転職のタイミング”、”それらを意思決定した理由は何か”といったお話を伺っていく番組なのですが、、、「誰にしようか!?」と社内で4人で会議したんですけど曽山さん一択!笑

「今日どれだけ良いこと言わないといけないのか」と凄いプレッシャーがかかっているのですが、頑張ります笑

曽山さん、まず簡単に時系列で自己紹介をお願いいたします!

改めまして、曽山です。現在45才です。1974年に横浜で生まれて、公立高校から上智大学に行きました。そこではラクロス部に所属し、その後就職活動を周りの同級生と同じようにして、1998年に社会人として株式会社伊勢丹に入りました。

ラクロス部キャプテンだったと思いますが、採用に有利になりましたか?感覚的には有利になったと思います。「キャプテンとかやってたんだね」みたいなことを言われたことは「今加点された俺?」という感じで笑
まぁ、実際は分からないです。伊勢丹では店舗販売をしていました。販売員から人事役員、販売員から経営者になったという意味では、結構良いストーリーかもしれません笑
CHRO「Chief Human Resource Officer(最高人事責任者)」になりますね。どんな若い人でも、どんな境遇にあられても、波とかチャンスとかをものにすれば、凄く良い仕事ができると自分も凄く感じているので、皆さんにも少しでも感じてほしいです。

いきなり示唆に富むお言葉、ありがとうございます!

洋服の販売とともに翌年1999年にサイバーエージェントへ転職しました。この1年伊勢丹で何をしていたかというと、凄く勉強になったんですけど、今でも伊勢丹買い物めちゃ行ってますけど、、、1998年、伊勢丹は凄く良い決断をしました。これは今でも覚えているのですが、「Eコマースやる」って決断しまして、この時に「実験的にやるよ」と聞いて、僕は紳士服のスーパーメンズと呼ばれる2mとか190cmとかある人向けのハイブランドコーナーにいたんですけれども、仕入れているのが日本全国で欧米のハイブランドのやつでした。新宿の伊勢丹スーパーメンズでしかやっていないものがありまして、それをEコマースでやってみたら北海道から沖縄まで全国から発注が来まして。まだブロードバンドがない時に。まだダイアルアップですよ!まだ「ピーヒョロヒョロ」という時代。それでも売れまして、この時にネットが「やばい凄い!」と思い「ネット業界に行きたーい」というスイッチが入って、翌年転職。

すると逆に、伊勢丹で企画した通販は曽山さんという若者にネットの可能性を気付かせた!

そうなんですよ。「ネット凄い」と思って。そして、サイバーエージェントへ転職した。これが1999年。サイバーエージェントは今、非正規の方を含めて1万人。当時は20人。社員番号27番、設立は1998年。私が伊勢丹入社とサイバーエージェント設立が同じ、1年経って転職して入った形。だからその間に7人辞めている。

みんな見渡せるワンフロアですか?

すぐその辺ですもん。20人ですから。

藤田さんもその辺で働いていた?

その辺ですよ。3つ隣くらい。
キャリアでいうと、人事→営業で「トップセールスマンになるぞ」と決めて実績を残し、2005年に人事本部が設立。当時は入社して営業で入りました。法人営業、広告の営業ですね。ここで6年間やりました。実はトップ営業ではないんですよ。トップ営業メンバーってもっと沢山いたのですが、僕はどちらかというとマネージャーとかチームビルディングを任されたのが早くて、6年間やって営業責任者にならせてもらって、その後「人事本部を設立するから、初代の人事本部長に就任して」と言われてなった。

今もベンチャー企業の要素は大いにあると思うのですが、当時2005年のベンチャー企業で、人事本部を作り、責任者を立てるのは珍しかったですよね。

人事のトップは各会社にいたはずですが、ほとんど表に出ていなかったですね。人事部長は各社にいましたが、、、
2008年12月に取締役就任に。役員になられて12年ですね。
途中、制度で取締役から抜けたりしてますが、、、執行役員なったりして。

細かい各論のエピソードに入っていきたいと思っていまして、曽山さんビジネス人生22年経験されて、色々なターニングポイントあったと思うのですが、曾山さんが記憶に残っている大仕事、今思うと誇れる仕事は何ですか?

これ結構難しいんですよ。人事の仕事は「会社を作ること」じゃないですか。代表の藤田も言うのですが「会社は芸術と同じでずっと作り続けるもの」だ。なので、どこかにピークがあったかというとあんまりないと素直に思えるのが、自分の肌感覚なんですけど、とはいえ、例えばサイバーエージェントの役員が新規事業のバトルをする「明日会議」、これは藤田とか他の役員の声聞きながら、形を変えて活きているという自負があります。新規事業プランコンテストは沢山あると思うが、うまくいってない会社が多い。案は出るが実現しない、そもそも案が集まらない。多くは形骸化しちゃう。サイバーエージェントも別のコンテストはあったが、そんな感じ。「だったら、役員で新規事業コンテストやったほうがいいんじゃない?じゃあやろうか。」といってサイバーエージェントの明日を作る会議を役員とみんなでやろうというものを2006年からスタート。人事本部設立が2005年なので1年くらいで「やるぞ!」と言って、いくつか案が決めました。この2020年4月にコロナ禍になったので、オンラインでやるかということで、オンライン明日会議で16案新規が決議された!そして、新会社が2~3個設立。毎年形を微妙に変えている。トーナメント制にしようとかポイント制にしようとか。どうしたら盛り上がるか。累計で20社ほど会社が生まれました。その新会社と事業のおかげで、売上が少なくとも3000億円は生まれている。これは僕の中ではどっかの点ではなく、ずっと作り続けてきて形になっているということで、これが僕の中で嬉しい。
今なお改善していっている。毎回毎回やり方を変えている。マンネリ化しないようにしている。生き残ってどんどん良くなっていることに、嬉しさを感じます。

詳しくは新R25見て頂きたく、廃止された制度も多い中で続いているわけですよね。

私の失敗談が5個位出てくる。再生数で藤田さんを超えたい。まだ超えれてなく笑
どこかの点というよりも、いまなおずっと成長し続けていることが一番のエキサイティングな話であり、1個良いことがあったというよりは、それがピークになることの方が怖い。昔を良かったと言いたくない。昔は良かったけど、今のが今日のがもっと楽しいという状態を作らないと人生面白くないなという。

また出ました!曽山さんの格言。チャンネルが「CxOの履歴書チャンネル」で、CxOを目指す方々が視聴者に多いのですが、曽山さんがまさにCxO、つまり取締役就任が2008年だと思いますが、背景に何があったのですか。

まず、サイバーエージェントの役員交代制度というのが生まれたのが2008年。サイバーエージェントの役員がたまたま8人だったのですが、「CA8」という制度を作ろうと。これによって役員が8人のうち2人入れ替わろうと。抜ける人は退任ではなく、ダメではなくて、あくまで交代するだけで、新会社作っても良いし、今の事業を作っても良いし、若い人を入れて、若い人がまた成長して、入れ替わってくると経営人材が育つということで、経営人材育成の仕組みとして作りました。2008年に入る側として経営に入れて頂いたというのが流れ。

抜擢を意思決定した方がいらっしゃったと思いますが、曽山さんご自身でなぜ選ばれたと思いますか?

ずばり経営会議に人事がいた方が良いということ。つまり元々はその人事トップというのは経営本部担当の役員がいるので、人事を見てくれていますが、専門で人事を見る人がいたほうが良い。例えば抜擢、組織風土が今どうなっているかの1次情報を多く持っているので、「人事がいたほうがいいよね」ということで、チーム作りをしたのではないか。

抜擢された時嬉しいですよね。

嬉しいし、緊張感もある。全社員の社員総会で発表するってなっていて、その1週間前に藤田社長から電話があって、「曽山君、次のCA8曽山君にお任せしようと思うから、なんか一言総会で挨拶してもらうから考えておいて!」って。それで、、、当日の社員総会で1週間スピーチを考えまくっちゃった。良いこと言っちゃおうとして、「曽山哲人さんです~」と発表されて光が当たって。なんかね、覚えてないけど凄くしゃべった。そしたら藤田から「すげーサプライズ感出したかったのに曽山くん超良い話しちゃったから『次から役員には言わないようにする』」って。それ以降、役員に入る人については、本人びっくりなんですよ。

曽山さんが事前告知を廃止されたわけですね。

すごくポジティブに言うとそうです笑

全然違う!人事本部長って昔は取締役ではなかったから。役割自体は変わるわけではないんですよ。何が変わるかというと、会議で話す人が変わる。サイバーエージェントの取締役は内部も多いのですが、内部取締役と毎週話す。今までは月に1回人事の会をもらっていた。10~15分。今度は毎週役員と話すときに、「やばい!ついていけない!」と思いました。役員のメンバーのレベルの高さ、発言の幅の広さ、これで「うぉーすっげーやっべー」という焦りと、「すっげー面白い!」という感覚。経営の話をしているわけですね。ファイナンスや他社の裏情報も話すし、新規事業の話も、人事だけで考えていた情報とは別次元。当時32歳になる時ですね。これはすごいなと。良い意味で焦って、自分も勉強しないとと思い、耳に入ってきた言葉を後で調べて、「翌週あの件○○ですよね~」みたいな。知ったかぶりではなくて、自分の言葉で話せるように積み重ねていくのは凄く勉強になりました。

印象にあるのは、「自分をもっと成長させないと」ということがあったわけですね。

経営の文脈が分かるので、「なぜこの意思決定になるのか」が分かるので、意思決定が決まった後に人事制度に落とすのにものすごい分かるんですよ。人事制度の成功って1個だけで、「経営との一貫性をどれだけ作るか。」これは大事な話。これが経営に入っていると凄くやりやすい。経営と話す努力をすれば出来るので、前もできてはいるがさらに分かるようになった。仕事もやりやすくなった。なのでプレッシャーとともに、すごくやりやすくなったということですね。

そこから12年経つと思うのですが、この間の話は後編で伺いたいと思います!

ありがとうございました!