実録!株式会社識学取締役副社長梶山啓介 氏が語る仕事論

識学と出会いそして識学の立ち上げを決意した背景とは!?│識学梶山啓介|CxOの履歴書チャンネルVol.007

企業名
株式会社識学 (マザーズ)
出演者
COO 取締役副社長
梶山啓介

はい、今週のゲストは株式会社識学取締役副社長の梶山さんにお越しいただきました!
まず、簡単にプロフィール・経歴教えていただいていいですか?
はい、慶応大学を卒業しました。そこから新卒でシティバンク銀行に入るんですけど、1年8ヶ月で辞めました。その時の同期と会社を設立。その時に金さんに会いましたよね?
そうですね、最初のエッジコネクション社ですね。シティバンク銀行、速攻辞めたんですね。
辞めました。非常に先輩や仲間に恵まれていたんですけど、調子乗っていました。
当時、シティバンクの同期で結構集まっていて、「自分たちでできるよね」って。今考えても凄いですけど、25歳で立ち上げて…。
エッジコネクションをシティのメンバー達で?
そうです。流石に4人で出て行っても仕事がないので、最初は大村と2人で飛び出して、ちょっと仕事できるようになってきたら、もう2人も入ろうって。
なるほど、時間差でっていうことですね。2007年にエッジコネクション社を共同創業されていて、識学に入社されたのが2015年?
そうですね、8年やってからですね。
それで上場されたのが2019年の2月!もう最速ですよね?
そうですね。
それで、2019年3月に取締役副社長に就任!梶山さん、駆け巡ってますね!
そういう意味では、サラリーマン→社長→取締役取締役っていう。お陰様で濃い人生を。
面白いキャリアですね。まず、質問したいことがシティ2年間で色んな仕事をされていたと思いますが、独立されたのは大きな決断だったと思います。
起業したエッジコネクション社の7年はどうだったんですか?
その当時思ったのは、30歳過ぎて結婚して子供いて、独立は無理だなと思いました。
逆に、25歳は独立してもいくらでも潰しが効くので、「独立したっていう経験がもう絶対何にも勝る」と思いました。実際、その当時、25歳で起業は珍しかったので、最初の頃は仕事をもらえたんですよ。
慶応義塾大学だし、シティバンクだし、ピカピカ経歴!
「すごいね、そんな独立して!」って仕事もらえちゃうんです。だけど、2~3年経ってきて人数も増やしてきた時に躓く。今思えば、最初から仕事を貰えなければ、ビジネスモデルを磨いたりしたのかもしれない。
なるほど。
その時から営業代行業みたいな仕事で属人的なコンサルになってくるので、組織は拡大できず…。
よく自分で売ってきて、自分でサービスを提供してみたいな。
真ん中ぐらいから会社的にしんどさがある。
だけど、自分が代表とし
て立ち上げている、俺元シティみたいな。
シティ結構出ますね!
周りの同期は「○○の商社です」とか、「海外駐在してます」とか。「俺は負けてないよ」みたいな。
若手ベンチャー社長ですよね!
そのギャップとビジネスとの狭間がやっぱ20代後半くらいです。
組織は結構人数増やしてたんですか?
最大でもアルバイトとか含めて30名ぐらいじゃないですかね?結局、その時もマネジメントをよく分かってないので、自分より年下の人たちを入れて。どちらかというと、親分みたいな。「そんな売れないのか?じゃあ俺行くよ」みたいな。
識学的にはダメ上司。
そうそう。全くダメですね。部下が育たない。
サービスも営業支援みたいなのが主事業ですよね?最初、識学社の安藤さんと初めてお会いした時に、どうやら梶山さんがいるっていうのを安藤さんから聞いて、「エッジコネクションの梶山さん?何で識学に?」ってなったんですけど、どういった経緯で?
結果的に、ほぼ創業メンバーとしてやらせて頂いたんですけど、元々エッジコネクションにいた時に僕ともう1人の代表大村とで「識学を受けよう」ってなって受けまして…。
受講したんですか?
そうですね!当時、識学を創った先生が講師をやっていたので、その福富先生から僕も受けて、安藤が元々は僕らのお客様先に顧問としていて、それで知り合うことになった。その時に、「識学いいぞ!」って話をもらって、受講した。僕らが受ける1ヶ月前に安藤が先生から受けてて、お互い識学を受けていく中で、僕はこれを商材として売りたいとなった。
識学のサービスを営業代行で!
「他が売ってないので、これは良い!」と思って、「営業代行させて下さい!」ってなって、僕は講師できないので。
講師がいないとできない!
そう、売った後に講師として「安藤が入って下さい」っていう兄弟子みたいな関係。
梶山さん並びにエッジコネクション社が法人開拓して、識学を提案する。講師に安藤さんをアサインする。
その関係でスタートして、エッジコネクションを出ることになった時に、安藤に「識学1本でやりたいんです」って話をしに行ったら、ちょうど安藤も識学社を立ち上げるタイミングだった。
株式会社識学をですよね?
そうですね、じゃあ一緒にやるかというタイミングだった。だから、安藤は最初は外部の人だけど、上司みたいな立場の時代があった。ここで、初めて上司っぽい人に管理されたんでしょうね。30歳ぐらいから初めて!
シティの時は調子乗っていて、2年で辞めて…。
自分で代表をやって、
若手ベンチャー社長になって、調子に乗ってて?
そうです。横に安藤がいた時代は凄く感謝しているんですよ。横にも関わらず、めちゃくちゃ指導してもらった。
社外の人なのに?
僕が痛かったんでしょうね、安藤から見ると全然できてないように見えているのに、それが隠せる風に色々小細工してくるのが多分痛かった。
ちなみに、エッジコネクション社の時に共同代表の方と梶山さんが識学を受講したわけですよね。結果、梶山さんは識学に入社することになったわけですね?
そうですね、それで言うと識学を1回受けた当時は共同代表だった。識学には位置っていう概念があって、「共同でやるのは=責任を持っていない」っていう。そこで、ちゃんと位置を作ろうってなって、その時も僕が副社長になるとなったんですよね。大村が社長になる。これでスタートしていって上手く回り始めたんですけど、結局お互い横並びの意識が抜けなかったので…
すでに6年くらい横でやっているんですもんね。
もう一歩進歩していくにはお互い1人にしようってなって、もう1人の大村が代表で残るっていう。
これは識学を受けたからですね?その意思決定。
それはもう間違いないですね。
安藤さんは当時から梶山さんに対して社外の上司みたいな感じで?
そうですね、パートナーなんですがその辺の指導とか、できていないところを言われるとか
なんかエピソード的なのあります?
その延長線上で私が売ってくる、安藤が講師で入ってもらう関係性でした。ちょっと細かいんですけど、そのお客様から得たお金を講師分の安藤と販売代理店の我々で分けるじゃないですか。
はいはい。
私としては、ちょっとでも払いを遅らせれれば、楽だなぁと思って。
キャッシュフローが!
そうです。楽だなと思って、そういう小細工をしたら…。
打診したんですね?
「ちょっと遅らせて良いっすよね?」的な。そんなのはすぐ見抜かれて「そういうことやってるから大きくなれないんだよ」って横から言われて、強烈に覚えています。これはそうだなと
確信をついたような
初めて上司らしい人に指導されたと思ったので、
30歳ぐらいの時に!
安藤もストレスかかることをわざわざ横から言うのは、それは感謝でして。そういうところから上司と部下みたいな関係がスタートしてた。
いよいよ「一緒にやろうぜ!」みたいな。
そうですね。「僕が辞めることになりました。」と報告しに行ったら、「一緒にやろうか」ってなって、2人でスタートですね。
それが2015年ですね?
はい、オフィス探しに行って「ここにするか」と決めて、家具をネットで買って…。
その時はまだ2人?
ですね、しかも、家具は組立式ですね。お金がないですから。
自分たちでIKEAとかで購入して組立!
僕がネジを締める係、安藤は配置係。ちゃんと責任分けて。
ここでも識学論!取締役兼DIY総責任者!
識学社は2人から位置が出来ていたので、楽ですよね。お互い位置がずれないです。位置の重要性を知らなければ、痛い時のまま人生を過ごしていたかもしれないので…。
調子乗っている or 痛いまま!
悲しいなあ。
全て血肉になって今があると思いますし!
それで自分がやっぱ変わらなきゃいけないっていうのを、その位置の概念であり、安藤であり、識学の先生であり、それで変われなかったら今がなかったと思う。
大きなターニングポイントだったんですね!後編では、記憶に残る大仕事を聞かせて頂きたいと思いますので、引き続き宜しくお願いします!
はい、ありがとうございます!