実録!株式会社ベクトル取締役吉柳さおり 氏が語る仕事論

ベクトルの創業期メンバー!アルバイトからの取締役へPRウーマン登場!│ベクトル吉柳さおり|CxOの履歴書チャンネルVol.009

企業名
株式会社ベクトル (東証一部)
出演者
CEO 取締役
吉柳さおり

はい本日のゲストは株式会社ベクトル取締役の吉柳さんにお越しいただいております!
お願いします!
吉柳さんようこそ!上の階にいらっしゃいますけど、もうすぐ来ていただいて!
なんと、第5回目ゲストにして初の女性ゲスト!
嬉しいです!呼んでいただいて!
ビジネスの世界で男性が活躍する方が多い中で、女性の活躍も実は結構あるんですけど、意外と表に出ていなかったりすると。吉柳さんは群を抜いて存在感があると。
ちょっとやめて下さい。
社内でもしっかりも存在感抜群ですからね!
どういう意味だろう。
お1人目には是非、吉柳さんに出て頂こうと思ってました。ベクトルに25年間!アルバイト入社から取締役になる。「なんで?」と気になる方も多いと思うので、それも含めて今週はしっかりと聞いていこうと思います!
よろしくお願いしまーす。
まずは簡単にご経歴教えていただいていいですか?
20歳の時に、まだベクトルが創業3年目ぐらいだと思うけど、学生の時にアルバイトで入社しまして、
慶応の法学部!賢い!
元々は、弁護士を目指して慶應の法学部に入ったんですけど、ちょっと弁護士って私の仕事じゃないなって思い始めてた時に、現会長である西江に会ったんですよね。
たまたま?
親友の紹介で!ちょうどベクトルは大阪で創業して関西で3年やってるんですけど、東京に進出した直後に私がその当時の社長の西江に会いました。会ってみると、学生からしたら目からウロコの話だったので。
西江さんの話がですね?
そうです、当時PRが日本に根付いてなくて、「欧米型のPRを日本広めようと思う」という凄い学生にとって結構ドリーミーな話だったんですよ。
はいはいはいはい、マーケットはまだないんだ!日本には!
そうです、私は黒子の方が好きなタイプでして…。当時、慶応義塾から出ると商社や銀行、CAさん、アナウンサーとか女性だとそういう領域が多かった。ただ、私は「裏で世の中を動かす」っていう方が好きなので、テーマにハマりまして、一緒に「日本の未来を創る」って勝手に思って入った。
その時はアルバイト?
ですね。当時まだ現社長の長谷川もまだアルバイトで手伝っていた時。
ということは、現会長の西江さん、現社長の長谷川さん、取締役の吉柳さん、お付き合いがめちゃくちゃ長いですね。
もう家族ぐるめって感じ。
そして、大学卒業と同時にそのままベクトルに入るわけですよね?
年ばれちゃうから言いたくないんですけど、大きい証券会社が潰れたぐらいのタイミングで入社した。
慶応を卒業すると、みんな大企業に行く時代で、まだベンチャーブームとか全然来てなかった。「慶応行ったら、こういうとこ行くでしょ」という常識があって、そこにわずか1か月ぐらいだけちょっと悩んだんですけど、創業したばかりの企業を手伝うみたいのが楽しすぎて!頭の中では決まってたんですけど、どうしても社会的な価値からすれば、親が可哀そうだとか。
慶応の法学部まで行って!
中高も私立に行っているので、色々お金を使ってもらって申し訳ないなぁと。母親がよく酔っぱらって泣くんですけど、「あの時は本当に辛かったわ」とよく言うんです。「よくわかんないPRとか」って言い出して。
ベクトルってどこやねんっていう話ですよね?
友人からも全員反対され、頭おかしくなったんじゃないか説とか流れたりして、唯一反対しなかったのは親ですね。
最終的に?
そうです、潰れた証券会社の役員の方々が、謝っているテレビを見て、これからは自分で企業を選んでいい時代だなって。終身雇用の時代じゃない、良い大学を出たからって大企業に行く時代じゃないなぁと思いました。
やりたいことをやろうと。あと、女だからいいやってなりました。男性はやっぱり当時の価値観だと、「良い会社に入って養わなければいけない」みたいな。女性だと最悪自分1人で飯食っていければいいなって。社会的な価値に合わせる必要ないなと思って、やっぱ直感でワクワクする方を選ぼうと思った。
当時からもう腹くくって訳ですね?
そうですね、逆に人の言うことを聞かないみたいな。楽しいこと優先するっていう直感タイプです。
当時の吉柳さんの目には、本当に楽しそうな画が映ってて、かつバイトで経験したそのPRという仕事が、世の広告とも違って魅力的だったわけですね?すでに
ブルーオーシャンだったので、これから来る、且つそれを作るのは自分って。勝手に思い込んで。ちょっと変わってるんです。
なるほど!吉柳さんは東証一部上場のベクトルの取締役でもあり、ベクトルのメイン事業にあるプラチナムの社長でもあると思うんですが、社長になったのが入社から6年後?
28歳ですね。
28歳でプラチナムの社長だったんですね。当時グループ全体で何人くらい社員がいたんですか?
わずか40人くらいだったかな。だから、それを真っ二つに初めてベクトル子会社を作った。現在、長谷川が社長の会社と私が社長の会社を2つ作って、ベクトルホールディングスにして長谷川が本体の社長になった。
吉柳さん、これなぜ社長に抜擢されたと思いますか?
これ色んな所で喋っていて、凄い鉄板みたいな感じで申し訳ないのですが、20歳の時に西江から言われたんじゃなくて、勝手に出したんですけど、1.3.5.10.15年後の自分の目標みたいな表を勝手に西江に出したんですよ。
勝手に?求めてないのに?
そうなんです、毎年人生のマイルストーンを書くんですけど、唯一20歳の時に勝手に出した。当時は、カンパニー制を導入していたので、ちょい留学経験があって海外に友人がいるので、海外進出とか上場とか、そういうのを勝手に出しました。
ずっとベクトルが好きっていうのはあるんですけど、社長になりたいという意思もあったんですよ。
ベースに?
そうです、だからちょっとそれも一致したというか。
なるほど。
ベクトル役員は今は凄い方が色々入社してくれて、ベクトルグループが大きくなってよかったなとか、醍醐味なんですけど。最初から一応いる役員の3人は、「バランス型3点倒立」だと思ってるんです。3人の特徴が全然違う。私は事業会社の社長に向いているなって思っていて。好きなんですよね?
好きですね、PRの仕事も好きですし、ベクトルの役員としては人事制度・評価制度・採用とかしていて、社内の仕組みと社員のことを考えるのが好きなんです。そういう視点が結構女性っぽいのかもしれない。
タレント
マネジメントとか引き出すのが好きなので。あと、ベンチャーって勝手にやることが大事じゃないですか?
主体的にですよね?
そう、得意な領域とかが3人ともずれてて、でもビジョンとか方向性とかが凄く力強く結びついている。
それぞれが勝手にワークするみたいなと、
思い込んでるんですけど。
結果として、今のベクトルグループを構成してもらっているので、それは本当に正しいと思います!
吉柳さんは、
約25年PRの仕事をされてると思うけど、あえて聞きたい記憶に残る失敗談!
本当は嫌なことはすぐ忘れてしまうので、「なんだっけ」となったんですけど、1つ挙げると、初めての某外資の大企業を担当させてもらったんですけど、
いつ頃ですか?
20年くらい前ですね。25歳の若さでした。
外資企業?
凄い大きな外資企業!アメリカの本社までプレゼンしに行って、10社ピッチだったんですけど、英語でプレゼンして取ってきた肝入りのクライアントでした。当時の月額のフィーの中で1番高かったんじゃないかなってくらいで大口顧客だった。
当時の平均の5~6倍くらい?
やっぱちょっと背伸びし過ぎたというか、グローバルクライアントなので全部本国確認も必要だし、英語なので仕事量が膨大で大変。
レベルが高いクライアントだったんですね?
そうです、PR歴まだ4~5年目くらいの者が、ベテランがいるようなクライアントを。
できる雰囲気をだして!
当時はプロを演じて、案件を取ってくるみたいな。ただ、よく行き過ぎて身の丈に合わない仕事を取ってきちゃうので、
相手のレベルも高かったところですよね?要求レベルとか
そうですね、営業人生を送ってきたので、クライアントは神様だと思っていた。お仕事を頂けることは、全てやるって思っていた。
ご奉仕精神が凄い!
「ベクトル誰ですか?」「PRなんですか?広告とは違うよく分かりません」みたいなものから来たので、PRの仕事を頂けるクライアントは神様だと思っていた。自分から降りたことがない。
吉柳さんが25歳ってことは、メンバーも同い年くらいってことですよね?
そうですね。同い年の女性と2歳下の女性とかそんな感じなんですけど。女性陣でやっていました。
英語対応で1つ1つ確認みたいな?
ブラック企業みたいであまり言いたくないですけど、24時間体制みたいな感じでやっていました。時差がありますから。回答待って、月間10本プレスリリースをするとかやってたので、ハードワークすぎました。多分、そのレベルのキャッチアップするだけ時間かかるんだと思うんですよね。体制的にも追いついてなかったんだと思うんですけど、そしたらスタッフに泣かれまして…。
というと?
「本当に辞めたいです」って泣かれて、こんなに必死に取ったクライアントを。でも、社員を凄く愛している会社なので、社員をとったんですよね。でも、2・3年やりましたけど、社員が辞められるくらいなら社員を取った。
なるほど、その当時を振り返ると、その時はメンバーのことは考えずに、相手厳しそうだけどもその外資を取りにいって、できるだろうって思ったら、結果中は結構大変だったんですよね?
やっぱり、個人プレイヤーでやる仕事時代だった。20歳で営業をかけていた時は、自分で採ってきて自分で回すという本当に1人プレイヤーだった。ただ、どんどんフィーとかクライアントのレベルが上がって、チームで回さなきゃいけない時がくるんですよ。先行型営業をやるスタッフが悲しむなと、それはまだ社長とかになる前ですけど、結構マネジメントの大事さみたいなの気づかされた。理想論や数字だけ追いかけてはいけないって。そういうのも初めて分かった瞬間だったんですね。
大きな気づきでもあったんですね。私もグループで色々と情報がある中で、吉柳さんのプラチナムは一致団結感凄いって。
写真でお祝いみたいな。凄い仲良さそうだなって思ってます。
いや~、ただ失敗経験は多いですね、未だにに先走りすぎて…。今回のコロナでも元々デジタルシフトしてましたけど、デジタルシフト寄りの新パッケージみたいなものを最初の2カ月間で7個ぐらい生み出して、週に2個ぐらい新商品をリリースして、これを「クライアントに提案しましょう」と常に意識が高いんです。すると、大体社員がついてこれてないんですよ。
全然学んでないですね。
学んでない!また学んでないわみたいな。人生学びの連続!
パワフルに牽引してるんだろうなあ。なるほど、ありがとうございます!今週もう1回ですね、吉柳さんに出ていただいて話していきたいと思います。次はですね、吉柳さんのエネルギーの源泉はどこにあるか、こんなお仕事したぜっていうのも次回そこをちょっと聞きたいと思います。
ありがとうございます。