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部下を育てる天才!?おくりバントの社長になるまで・・!|株式会社おくりバント 代表取締役 西久保 剛|CxOの履歴書チャンネルVoI.206

部下を育てる天才!?おくりバントの社長になるまで・・!|株式会社おくりバント 代表取締役 西久保 剛|CxOの履歴書チャンネルVoI.206

株式会社おくりバントの代表取締役社長の西久保剛さん!これまでのキャリアから現社長になるまでを深く知ることができる内容になっております。

CxOの履歴書チャンネル動画
プロフィール
企業名
株式会社おくりバント
出演者
CEO

代表取締役社長

西久保 剛

株式会社おくりバント
https://www.okuribunt.com/
経歴

1976年7月生まれ。高校時代プロボクサーを目指す。1994年にネットチャートジャパン株式会社に入社。2003年に株式会社ディスコ入社。2006年にアドウェイズ入社後、広告営業部の責任者まで上り詰める。パニック障害を乗り越え、人事戦略室を立ち上げ。2022年に株式会社おくりバントの代表取締役就任。中野スミス所属バーテンでもあり、アーシー剛の名前で絵を描いている。

インタビュー記事



オープニング

株式会社IR Robotics社長のキムです!
本日のゲストは、得点圏までお客様をお送りする株式会社おくりバント
代表取締役社長、西久保剛さんでございます!

西久保です!よろしくお願いいたします!

西久保さん、ようこそ!
何でここにいるんだろう?って感じですか?笑

そうですね!笑

僕自身が元々おくりバント社の親会社である、アドウェイズグループでアドウェイズの創業者の岡村さんと15年以上のご接点があります。
直近では現社長の山田翔さんとも接点いただいております。

ちなみに3年前にCxO履歴書チャンネルに高山会長に出て頂いております!

ちょっとだけ見ました笑

ちょっとだけですか笑
高山さん(おくりバント社 代表取締役会長)って、中野に住んでいるじゃないですか。
僕も中野に住んでいて、高山さんとはよく遭遇してたんですよ!

目立ちますからね笑

当時チャンネル初めて1年くらいで、高山さんに声をかけて出てもらったのがきっかけでご出演いただきました!
それがなんと第1話目が3.2万回再生なので、再度ご出演どうですか?とご連絡しまして。

高山さんゲストの中で1位なんですよと連絡をしたら、「マジっすか!御社のチャンネル大丈夫ですか?」と。笑

確かに心配になりますよ。笑

高山さん知名度も上がってきてYouTubeも出てるので高山さん自ら、
「僕、最近出ても効果薄くてですね…西久保が面白いんで」ということなので、
本日は西久保さんにゲストでお越しいただきました!

面白いって言われても困っちゃいますね笑

キャリアのチャンネルなので西久保さんの経歴について伺いたいと思います!
西久保さんはおくりバントの社長に2年前に就任されたんですか?

2年前なのか3年前なのか...実はいつか分かってないんですよね。
いつ登記されたのか分かってないという。笑

おくりバント社に入る前にアドウェイズにいたり、別の会社にいたり、卒業後どういう経緯で現在に至ったのかを、本邦初公開!
伺っていきたいと思います!よろしくお願いいたします!

よろしくお願いいたします!

高校時代プロボクサーを目指す

西久保さんは、1976年7月神奈川県横浜市生まれです!
高校卒業後、プロボクサーを目指していたんですね。

そうなんですよ。
中学生の時からボクシングが好きで、テレビで良く見ていました。
辰吉丈一郎が世代で、高校行ったらボクシングやろうって思っていたんです。
だから、高校入学してすぐ路線沿いにあったジムに入りました。
週2、3回ですが2、3年通っていましたね、たまに2~3ヶ月行かなくなる時もあったんですけど笑

そんな中、高校卒業するとなり、進路を決めなければいけない段階で、「そうだ!プロボクサーになりたいんだ!」と思いました。
だから、受験とかもしないでバイトしながらプロボクサーを目指すみたいな感じで進路を勝ち切った感じです。

進路を勝ち取ってからどのタイミングで諦めたんですか?

そこから本格的に目指すとなってから、毎日ジムに行ってました。
プロになるには会長が日々の練習を見ながら、プロテストを受けるか判断してもらうんですよ。
それが卒業して半年くらいでプロテスト受けていいよ!と言われたんです!

プロテスト自体は、後楽園ホールでプロテスト行われるんですけど、当時は今よりも視力が厳しくてですね。
目が悪くて合格基準までに視力が足らなく、プロテスト不合格になったんです。

視力の時点で?

そうです!
小さい頃から頑張っていたわけでもないですが、人生ボクシングをやっていこうと思っていたんです。
だから、プロになれないと思ってお先真っ暗で何をやったらいいのかわからなくなりました。

結構モラトリアムな時期でしたね。

それからはバイトだけをしていた感じですか?

「手に職」というか、「今後何かやりたくなった時に汎用性がきくものを学んでおこう」と考えて、大原簿記専門学校に入りました。

今役に立ってますか?

簡単なPL/BSとかは理解が出来ているから、役に立ってるかなと思います笑
役に立ったことといえば、DMMの亀山会長が大原簿記出身なんで、亀山会長に言ったら後輩認定されたことが一番の財産ですね笑

それはバリューでかいですね!
1999年4月にインフラビジネスを展開する現ネットチャートジャパン株式会社に入社するんですね。

そうですね。
当時はモラトリアムが続いている時期には、横浜市に住んでいたんですが、就職活動も適当で。
原付で5分でつく場所に就職したんです!

ネットチャート社でやっていた事

4年半いてここでは何をやっていたんですか?

社長がすごい強いベンチャー企業でした!

23歳~27歳くらいまでの間ですか?

26歳くらいまでです!

3年くらいいて、社長も若くてゴリゴリの営業マンから会社を作った優秀な方でした。
ただ、ベンチャーだったのもあり、みんなが何の担当か分からないくらい社員がごちゃまぜ状態だったんです。

インフラを作る会社で、当時パソコンを全部LANケーブルで床下にハブを這わせて外のルーターまで持っていく...という作業を大きなオフィスとかを設計して工事もする会社でした。
その時に使用する機材とかも仕入れて売ったり。ただ、インフラの工事が入るのって大体、土日とかGWとかなんですよね。

会社が動いてないときですね!

そうです!
まず、GWはもちろん、下手すれば正月も夏季休暇もないみたいな。

本当に人数少ない会社だったから、9時始業で夜中の3時くらいになって「まだ3時か!許せるな!」と思いながら仕事していました。
帰ったら家のポストに朝刊が入ってる生活が毎日続く会社で、本当に5分で通勤できるから楽だなって思ってた会社が激務でしたね。

ネットチャート社での4年間の経験

約4年間の経験の感想は?

本当に社長が良い方で...ただ、アツくて怖かったですね。

数字にすごい真剣な方で営業会議とか...今だから言うんですけど、いつもカリカリしてたんです。
中途半端な報告をすると、まだ空いてないウーロン茶の缶を投げられて顔の横を通過するんですよ!笑

その時は新社会人の一兵卒として?

「社会ってこういうもんなんだ!これは社会が厳しいって言われる所以だな」と感じました。

当時の給料どれくらいか覚えてますか?

ボーナスもなかったので、月20万いかないくらいでした。

ド・ベンチャーですね!
結構、環境が最初厳しかったわけじゃないですか?
それは今となってはどうですか?

ネタになるから良いですね。笑

芸の肥やし?笑

はい!
こういう経験って体も精神も壊す場合があるのでおすすめ出来ることではないけど、僕にとってはやっぱりストレス耐性って意味では芸の肥やしにできたと思っています。

広告代理店に憧れていた

4年弱勤められたネットチャート社を退職して、その次は広告代理店のディスコ社に2003年に入社!
広告代理店とかに憧れたんですか?

結局モラトリアムが続いていたんです。

適当に会社決めたので、それでもいい経験出来たと思ってますけど、「こんなはずじゃなかった」って当時は思いながらやっていました。
振り返った時に「なんか人と変わった発想するね」とか「なんでそんなことを考えられるの?」みたいな事を言われることが多かった人生なんです。

なので、僕は何かを作る仕事をするべきなんじゃないかという思いがあったのに、タイミングがなくてこの仕事も違うかも、と思いながら仕事をしていました。

実は、26歳の直前に結婚をする予定だったんです。
結婚式場も抑えて、お客さんも招待していたんですが、結婚式キャンセルになってしまって…

理由は聞いてもいいですか?

聞いたところによると、結婚式の2ヶ月前に相手に好きな人ができたらしいです。

もちろんショックでしたが、人を呼んでしまった焦りもあったので、とりあえず「籍は入れずに結婚式だけ挙げて、1年くらいに離婚しました」という事にしようと話していたんです。

でも、結婚式の1ヶ月前に「やっぱり出来ない、ごめんなさい」と言われて、無理しないでやりたい事に舵を切ろうと思いました。
やりたい事をやろう!と考えたときに、広告に携わりたいなと思い、派遣でディスコ社に入りました。

そこから約2年半、ディスコ社に通い始めるんですね。

そうですね。
良かったのは20人くらい女性で自分1人男だったんです。
ディスコ社では、ディレクション広告のディレクションの仕事をしていたのですが、その時に強烈に思ったのが当時の男社会問題の逆バージョンだなと思いました。

女性ばっかりだからですね。

そんな中で働いていると、世の中的に女性が抱えている悩みがうっすら理解できてくるんです。
会議とか始まる時もみんなネイルの話とかエステの話とかしていいるので、会議が始まる時にはノっているんです。
だけど僕だけ気持ち乗り切らず会議が始まってしまうみたいなことがありました。
こういうことが社会で起こっていて、「マイノリティーであるっていうのは結構大変なことなんだな」っていう経験ができてい良かったなと思います!
皆さん良い方だったので打ち解けられましたが!

ディスコ社でやっていた広告業

この時、ディスコ社でやっていた広告はどういう広告ですか?

当時は、日経新聞社の広告媒体を扱っていて、紙媒体で日経進学ナビとかの大学情報誌です。
それを紙で1つ1つ企業の社長のインタビューとか、学校の施設とか1つ1つ雑誌にしていく仕事でライターとかディレクションしていく感じですね!
ほぼ2年間やっていました。

アドウェイズに入ったきっかけ

そして今の礎になる、まずはアドウェイズ社に2006年に入社するんですね。
これは何がきっかけでなぜアドウェイズだったんですか??

きっかけはディスコ社で社員になるみたいな話もありました。
でも、紙媒体もどんどん薄くなっていく一方で、当時インターネットの広告が注目されていました。
だからインターネットやらなきゃと思っていましたね。
伝手も無いので、エージェントに色々紹介してもらっている中、アドウェイズの面接に行ったときに創業者の岡村さんに衝撃をうけました。

当時20代中盤ですよね??

2006年だから25歳とかですね!

こんな若い人が当時から上場を目の前に、数十億の売り上げを上げているのがすごいなって思ったんです。
イメージ的にキレッキレのジャケパンみたいな坊主の人が出てくると思ったんですが…笑

実際にお会いしたら感じがめちゃくちゃ良くて!
今まで自由度がない会社にいたから、ここにしようと思って入社させてもらいました!

アドウェイズへ入社後

2006年の1月に入社されて、アドウェイズはその年の6月にIPOするという!
だから入社されたときは審査があった時期ですね。

岡村さん、色んなメディアに出られて中学卒業して訪問販売されて、サイバーエージェントに入りたかったけど秒で落とされて…笑
アドウェイズ作ってからは、サイバーエージェント藤田さんが保持していた、最年少上場記録を抜き、最年少上場記録として塗り替える...

そんな岡村さんの魅力に惹かれて入社したって感じです?

まあ20年前の話ですが、上場準備してたとはいえ、当時のアドウェイズはめちゃくちゃだったんですよ笑

入社決まってから、年明けの1月4日から来てくださいって言われていました。
1月3日の夜、緊張している中で、アドウェイズの総務から電話があったんですよ!

「明日からでしたよね?」「申し訳ないですけど、西久保さんの机とかパソコン用意できてない」「17日からにしてもらっていいですか?」と前日の夜に言われたんですよ笑
そんなこと言われたので、さすがに「大丈夫かな?この人たち」と思いましたね。
それで17日に行ったんですが、そんなに人数いなかったけど挨拶回りしまして。

アドウェイズって当時何人くらいですか?

当時、中国支社もあったんですが、日本で言うと50人くらいしかいなかったイメージです。

席に着いたら隣に課長職くらいの方がいて、挨拶してもあんまり雰囲気が良くないなって思っていたんです。
そしたら、その人が立ち上がって部署のマネージャーのところで「誰ですかあの人?」「なんで取ったんですか?」って聞こえてくるんです!
「知らなかったんかい!」と思いました。

今となっては1000人を超えるグループだけど、当時100人いなかったですもんね!

エンジニアにプロダクトの納期を要求する時に、業務時間外の土日も含めて「作業期間は7日間あるからやって」と営業が真顔で言ってきたり。
他にも、毎朝の朝礼では数字が厳しい月になると、昼休憩で昼食を食べに行こうとする社員に対して、マイクを使って文句をいう事も。
普通なら働く人が離れていきそうなのに、採用がうまくいっていたんです。

採用される人も学歴だけではなく、ノリとか「やってやる!」という気概のある人が多く集まっていました。
だから、めちゃくちゃな要求をする社長や、小競り合いが起きる中でも、殺伐としていなかったんです。
社員同士が一体感を持って「なんとかしてやろう!」という気持ちで仕事に取り組んでいたなと。

そんな環境を見て、すごい会社だなと感じました。
いい意味での勢いとまとまりを持った、魅力的な会社だったと思っています。

広告営業部の責任者に

最初はネット広告の営業やっていて、その後に広告営業部の責任者?

そうですね!
結局僕が6月に入って1月に上場して、すごい優秀な人たちがいました。
みなさん志が高いので、SOも持っていたりして元気になって独立する人もいました。

ここまでキャリアを積んだら、優秀な人たちで辞める人も一定いますよね!

優秀な人が独立して辞めたりしたら自分より優秀な人がいなくなったので、僕が責任者をやりました。

まさに残存者利益ですね!

貧乏くじだった可能性もありますが笑

いやいや、上場企業の広告営業部の責任者はすごいですよ!

2007年の7月くらいに責任者になりました。
やっぱりアドウェイズは採用がうまくて、2006年に取った同じ部署の新卒である田村がめちゃくちゃ出来る人だったんですよ。
彼がサブでついてくれたのはラッキーでした。

責任者になった1ヶ月前に業界的に色々問題が起きて、売上と利益が半分になってしまったんですね。
僕はそのタイミングで責任者を任せられて、「本当に貧乏くじだ、でも僕のせいじゃない」と思っていました。

岡村さんや役員がいる営業会議に出た時、岡村さんが厳しい人だと聞いていたのですが、なんだかんだ大丈夫だろうと思っていたんです。
でも、会議が始まって第一声、「不正があったと思うけど、数字には影響はないです。言い訳に使わないでください。」と言われて、初月から洗礼を受けました。

岡村さんやっぱり面白いですね!

めっちゃ面白いですね!
これしょうがないなと思って、50人くらいのメンバーを抱えていたんです。
「みんなやりたいこともあると思うけど、金融とEコマースというのに絞ってとにかく頑張ろう、今はやりたいことは我慢してくれ」とメンバーに言いました。
「売上が上がってきたら、自分がやりたい事をできるようにするから」と説明しました。
1年くらいで半分になった売上も回復してきて、元に戻って2倍・3倍と伸びていきました。

売り上げ回復したのは、金融とEコマースに特化したからですか?

特化したことと、メンバーが頑張ってくれたからですね。

2007年度にもすごい良い子たちが入ってくるんですよ。
当時はゼロナナショックって言われたんですけど、100人の会社で新卒を100人以上採用したという。

それで日経新聞に採用失敗と書かれてしまって。それで数字も悪くなったんですが、そこに山田翔(現社長)が!
この彼と田村くんが本当に頑張るし、優秀だったんですよね。

田村君(06入社)と山田翔(07入社)!

2人が入ってきて、数字が厳しい時もあったけど、僕は、その2人が20代の内に1000万円貰えるようにリードしていこうと思ったんですよ!

それは西久保さん自身が?

給料を決めて経営に提案ができるので、20代のこの2人が1000万円貰っていたらそれは事業が上手く言ってる時だと思うんですね。
その為に何をしたらいいか考えようと思いました。
もちろん他の社員も頑張っていたけど、この2人が大暴れすればいいんじゃないかと思ったらその通り上手くいきました。

実際に2人を年収1000万円プレーヤーにしたんですか??

したというか本人たちが頑張ったんで!!
僕もあっという間に追い抜かれて、2人はもう取締役と社長なので。笑

でもこれって上司力というか、優秀な2人を引き上げてるわけじゃないですか!

引き上げたって言ったらおこがましいですけどね。

すごい才能もあったのもありますが、本当に2人が頑張ったんです。
みんな頑張ってくれたからラッキーで、岡村さんがマネージメントを気に入ってくれてたんだと思います。
当時、2つの部署しかなく、そのうちの1つを持っていました。
そしたらもう1つの部署のマネジメントもしてくれないか?と言われ、別チームに移りましたね。

ただ、なぜか分からないけど3ヶ月くらいでつぶれちゃったんですよ僕が。
パニック障害みたいな話で会社に来れなくなってしまって、お休みを頂いたんですね。

パニック障害で仕事を休養

その時も30代??

2回目の結婚をしていた時なので、33歳ですね。そのあと2回目の離婚もします。笑

33歳くらいでつぶれて、ずっと家にいる時期がありました。
岡村さんもすごい心配してくれたんですが、物も食べられない、人と話すのも億劫で。
変な話もういいやって思っていて、このまま消えていなくなればいい、と思っていたくらいでした。

岡村さん毎日電話かけてくるんですよ!
「ラーメン食いに行きませんか?」「僕、飯食えないです」「そうっすよね」みたいな会話をしていました。
今思うとすごく助かりましたね。

ちょっと回復してきた頃に読んでいた本が、サイバーエージェントの曽山さんの本でした。
曽山さんがサイバーエージェントの人事部を立ち上げた時の悩みと、当時のアドウェイズの悩みが結構シンクロしていたんです。
曽山さんも営業部の責任者から人事部を立ち上げているから、勝手にシンパシーを感じてしまって...

復帰が決まってから喫茶店で岡村さんと面談しました。

やっぱり喫茶店は新宿のルノアールですか?笑

岡村さんに「なにやります?」って言われて、「曽山さんの本を読んでいてすごい人がいるんです!僕みたいな人も出さないように守るということもやっていきたいので、人事部を作りたい」って言ったら岡村さんが「(人事)戦略つけた方がかっこよくないですか?」と言い、人事戦略室を作りました。

休養を乗り越え人事戦略室設置

そんな背景があったんですね!
サイバーエージェントの曽山さんの本がきっかけであると。

曽山さんにお会いして食事する機会を設けていただいて。
曽山さんも親切な方で色々教えてくれたので、人事部2人だけでやっていたんですよね!
その当時は500人とかアドウェイズの社員超えてたんですけど。

西久保さんともう1人で??

そうですね!

それも新卒1年目の子とやっていたんです。
とにかくサイバーエージェントの真似をすればいいんじゃないかと思い、猿真似を繰り返していきました。
当時サイバーエージェントが「未来会議」という新規事業を作る会議をしてたんですが、それを「明日会議」にしたり。
猿真似を繰り返していたけど、当然猿真似では上手くいかず、ことごとく失敗しましたね。

今でも残っている制度もありますが、本当に上手くいかず。笑
新卒で一緒にやってた女の子が頑張る子でラッキーだったんです。だから今でも残っている制度がありますね!

西久保さんは部下に恵まれてるのと、部下を活かしているのは間違いなくあると思ってます。
部下に活躍の場を提供しないことも、上司は出来ちゃう中で、西久保さんはそれがフリーですね!

その方が楽じゃないですか?笑
でもほんと恵まれていて、人事部も優秀な人が入ってきたから、仕組化できていますね。

ちなみにおくりバントはアドウェイズのグループ会社になると思うのですが、西久保さんはおくりバントの社長でありながら、アドウェイズの人事も兼務されているんですね!知らなかったです。

あまり表立ってはやってないので!

たまにミーティングとか入ったりしてるんですか?

ミーティングは毎回入っていて、どっちかというと人事部は裏方の仕事ですけど、人事部担当役員と方針を決めたり、設計を作ったり。
アドウェイズの社員ですら、「あっそうなんだ」って言うと思います笑

株式会社おくりバント設立

それでアドウェイズ入社から16年経つときに、2022年株式会社おくりバントですね!
アドウェイズからちょうど8、9年目になる時に株式会社おくりバントが設立されるという。

はい!

当時おくりバント会長の高山がアドウェイズグループの広告事業の中国に駐在してました。
そろそろ帰ってくるというときに、普通に日本で広告事業の営業マンやるのもなというのがあり、当時から高山と仲が良かったので相談を受けていました。
当時強烈に憧れていた会社があって、バーグハンバーグバーグって会社です!
ああやって才能を活かして、面白いっていうのをコンテンツにして、お金を稼いでいるのに憧れて、高山もそういうことをやりたいって言ってました。
当時、新横浜に住んでいたので、家の近くのココスで高山と話して「独立しちゃうか!」って話をして、「会社名決めよう!」でおくりバントっていいんじゃないかで社名が決まりました。
なんやかんやあって、子会社作らせて貰おうという話を岡村さんにしたら、「西久保さんまだ亜流にいかないでくれ」って言われて高山が立ち上げました!

2014年の1月ですね!

そうですね!
高山の同級生2人と3人で立ち上げて、僕はずっと甘噛みしてました!

本格的なジョインはいつからですか??

2022年だと思います。
アドウェイズの総務の人が中々手続きを進めてくれなかったので、いつから登記されているか分からないんですけど…笑
多分2022年くらいに代表取締役社長で登記されてると思います。

甘嚙みしてたけど、本格的におくりバントの業務をやることになったのがこの時からですか??

そうですね!
いい年になってきたから最後アドウェイズ辞めて、もうちょっとやってみようと思ったんですよね。
その時に岡村さんと話したら「50歳くらいまではやった方がいい」と言われ、選択肢はあるから選んでほしいと言われました。

なら甘嚙みしてるおくりバントやります、と答えました。
そこまで言ってくれるのはありがたいし、岡村さんに恩もあるし。
なのでおくりバントにしました。

おくりバント入ってどうですか?

変わった奇抜なHPを作らせてもらったり、企業の宣伝動画とか、商品の動画とか、地方CMの動画とか写真も撮ったりします。
あとはXとかSNSアカウント・YouTubeなどPRとかブランディングにまつわる所、全般を制作寄りでやってますね。
まだまだ、高山とかの存在・在り方みたいな評価が先行してまして…

会長のね~笑

もう少しやった仕事とか成果とかで、これおくりバントだよって日本国内で界隈を広げて統治を広げたいのがありますね!

単純な一言で言うのなら、企画でバズらせてクライアントの売り上げを上げるってことですよね?

売り上げが上がるかどうかは分からないです。そこは責任持たないです笑

今日収録をする前に西久保さんの動画ないかなってYouTubeで検索したら、レッツゴーなぎらさんの20分位の動画を出てきたんです。
その中で、スタッフの女性の森さんとの関係づくりや組織の雰囲気づくりの話をしていて、アイディアを出しやすいような環境と関係地を作るって話が、印象的でした。
まさに部下を解き放ったものと通じましたね。

ありがとうございます!
こうやって深読みしてくれる人がいるとありがたいです笑

おくりバントの官報が当時Xに出ていたので、100万か200万利益が出てたのでキャプションを取って、高山さんにメッセ送ったら「金さん営業させてください」って返信がきたんですよ笑
なので是非!で来ていただいたのが1年前で。

その場で色々ヒアリングしてもらって、CxO人材バンクが好調なんで、高山さんが面接受けてハイクラス人材として認められるかどうかって話で盛り上がりましたね。
その後、高山さんからメッセージを頂いて、「金さんまた企画は練って連絡します」で音沙汰ないです笑

もう1、2年。笑
その時って僕と高山の2人で行ってたじゃないですか!
最近気づいたのは2人で行くと議事録も書かないし、高山なんてその日飲んだら忘れちゃうし。
高山と一緒に行っても意味がないのが最近分かったので、最近はバラバラで行ってます笑

まだ、ニーズあるので是非、企画・提案してもらいたいです!

動画に残るので忘れないと思います!

なぜ社長になれたのか

西久保さん今日まで濃密なビジネス人生を積まれていますが、着実に前進をしながら今上場企業の子会社の社長になってるキャリアがあると思うんですけど、なぜこうなれたんでしょうか?

なんでしょうね…
1つはラッキーですよね。
岡村さんみたいな経営者、アドウェイズグループ役員陣も皆寛容です。
そういった人たちとの出会いがあると思います。

僕はラッキーだ!って割と謙虚に接してきたので、「ちょっと可愛がってやるか」みたいなのはあるかもしれないですね!

西久保さんの若者への思い

重要ですよね!

僕と高山の特徴って、特に高山は「陰で悪く言わない、愚痴が少ない」からその点なんか信用を買っている可能性はあるのかなと思います。
実力とかなんとかいうよりも人間関係の中で上手くやってきたんじゃないかなと。

あと、僕のうっすらと思いとしてあるのは、成功者たちには強いメッセージ性があるということです。この年齢になって、若い人たちが「成功したい」と思っている人がたくさんいると思います。成功者の言葉や生きざまに注目している中で、あまりにもメッセージ性が強すぎて、「もし自分がそのレールから外れたら終わりだ」と感じる人が多いんじゃないかと思うんです。

だから僕が「こういう生き方でも楽しく生きていけるだよ」と裏メッセージで何か勇気づけられればいいなと思っています。
絶望しないで若者が何になりたいかは分からないけど、一つの社会人としての影響力を持ちたいのはありますね。

これ1つの西久保さんって方のビジネス人生を今日これでフル開示されているので、勇気をもらう人がいるかもしれないですね!

いたら嬉しいですね!

影響力を持ってポジティブにとらえてくれる人が増えればいいと!

そうですね!
いまだに僕らでも50歳近くなってポテンシャルで評価されてる可能性もあるので、もうちょっと結果で評価される会社になっていきたいですね!

案件もよりあれば自信あります!笑

やります!頑張ります!
あと、アッシーツヨシって名前で絵も描き始めてるので、おひねりくらいで書くので言ってください笑

お願いします笑

実はアドウェイズ創業者の岡村さんは2020年にJapanStockChannel、山田翔さんも同年の後半にこのCxO履歴書チャンネル、高山さんは2021年にこのチャンネル、西久保さん今回2024年の年末にこのチャンネルに出ていただけるという。

アドウェイズ制覇しました!

制覇じゃないです。
後半の2人おくりバントはみそっかすなんです、グループの端くれなんで笑

頭と後ろ終わったんですね今!笑

今日はおくりバント代表取締役社長の西久保さんに来ていただきました!
ありがとうございました!

ありがとうございました!

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