経歴
2005年9月 (株)グッドスタッフ(現(㈱)DEITA)入社
2005年11月 (株)レボリューション代表取締役 就任
2006年4月 (株)レボリューション代表取締役 退任
2006年9月 (株)グッドスタッフ(現(㈱)DEITA)監査役 就任
2007年9月 (株)グッドスタッフ(現(㈱)DEITA)監査役 退任
2007年9月 (株)グッドスタッフ(現(㈱)DEITA)取締役 就任
2008年1月 (株)グッドスタッフトータルサービス(現(㈱)DEITA)代表取締役 就任
2011年9月 リムジンタクシー(株)代表取締役 就任
2012年2月 (株)トータルサービス(旧 (株)グッドスタッフトー タルサービス、
現 (株)DEITA)代表取締役 退任
2015年4月 (株)シティクリエイションホールディングス取締役 就任
2015年7月 合同会社ネクストインベストメント代表社員 就任
2016年10月 リムジンタクシー(株)代表取締役 退任
2016年10月 (株)グッドスタッフ(現(㈱)DEITA)代表取締役 就 任(現任)
2016年10月 (株)シティクリエイションホールディングス取締役 退任
2022年12月 (株)シティクリエイションホールディングス代表取 締役 就任(現任)
2023年9月 合同会社ネクストインベストメント代表社員 退任
2023年11月 (株)OKOLOGIE LEBEN 代表取締役 就任(現任)
2024年12月 ホリイフードサービス㈱取締役 就任(現任)
インタビュー記事
オープニング
株式会社IR Robotics社長のキムです!
本日のゲストは、グループ企業7社、グループ従業員数約1000名、30事業を展開する株式会社シティクリエイションホールディングス、高鍬 仁一さんでございます!
ようこそ!!まさか我がチャンネルに出演していただけるとは!笑
当社IR Roboticsは経営者コミュニティを運営しているのですが、実は、高鍬さんも会員で。
僕は、高鍬さんと初めて会ったのは、実は15年前くらい...?
褒めるだけのね(笑)
今日のトピックは大きく3点ありまして。
まずひとつは、高鍬さんご自身について、2つ目は事業戦略としてのM&Aについて、3つ目は、今後のシティクリエイションの成長について、
伺えればと思います!
高鍬さんのご経歴
2005年に、旧グッドスタッフ社に、派遣スタッフからキャリアをスタートという、、、どういうこと??笑
オープニングスタッフの求人が出ていて、当時では破格の時給1500円で、
学生の自分からすると、「いい案件だな」みたいな笑
トップ50に入って、成果を積み上げられたからこそ今があると思うんですけど、
最初の引きあがったタイミングっていつなんですか?
グッドスタッフ社からの派遣スタッフが、なかなか面接に通らなくて、
「(派遣スタッフの)面接の補佐をやってくれ」と頼まれたことが始まりでした。
スタッフと一緒に面接に行って、落とされそうになったら「こいつすげえできるやつなんで」って中の人に頼んで
「お前が言うなら、、、」って感じで通してもらってたんですよ。
そうすると、新しい案件があるたびに「あいつ飛ばしとけ」みたいな感じになって笑
派遣の現場に行って、責任者を一緒にお昼誘って「いいスタッフいるんで使ってくださいよ」って頼んで
(通過の)枠を広げてもらう、みたいな。
そんな感じのことをやってたのが、一番最初の目をつけられたタイミングでしたね。
高鍬さん自身も派遣スタッフでしたけど、当時のグッドスタッフ社の社長とお近づきになったタイミングは??
トイレで「君の名前は聞いてるよ」と話かけられて、そのままごはんに行って。
「君は何がしたいの?」って話をされたんです。
僕、高校の時に女の子に振られて、見返すために石川から上京してきたんですよ。
「社長になって、タワーマンションに住んで、ベンツに乗って、見返してやるんです!」って言ったらしく。
それで「俺と一緒にやったらできるよ、一緒にやろうよ」って言われたのがきっかけ。
そこから半年後くらいですかね。
社員登用と一緒に主任になって、1年半で役員になって、そのまた半年後にどこかの子会社の社長になったんです。
もう20年前なので時効だと思うんですけど、、、笑
寝袋を買って、会社に寝泊まりして、正月以外はずっと働いてました。
役員に上がるまではずっとそんな感じで仕事してましたね。
そんな中で仕事を辞めるっていうこともあり得たと思うんですけど、それはなかった??
全くなかったです。楽しかったから。部活動の一環みたいな感じで。
僕は自分がそんなに優秀じゃないことがわかってて、それでも周りのに人達に勝つためにはどうしたらいいかを考えたときに、
「彼らが休んでる間に仕事をすれば絶対勝てる」と思って。そうすると、寝る時間も休む時間もないという結論に至り、、、
家も解約して、背水の陣で仕事してました笑
解約してまで?!笑
2005年9月に入社して、2008年1月にグッドスタッフトータルサービス社の代表取締役社長に就任されますが
これはどういった背景で??
何でですかね~~笑
たぶん当時で言うと、管理部以外はほぼ僕が統括してたので、そのままやらせちゃった方が効率がいいんだろう、
みたいな流れだったんじゃないのかな?笑
ただ、僕以外にコミットしてやれる人間はいないだろうなという自信もありました。
シティクリエイションホールディングスさんは、当時から順調に事業や社員は拡大し続けてるんですか?
全然そんなことなくて、けっこう危ないときも2回くらいありましたね
自分自身を大きく成長させた印象的な成功談や失敗談とかってありますか??
1番はリーマンショックですね。2008年とか2009年とか。
派遣はこぞって派遣切りにあって、売上は半分くらいになったんじゃないかな。。。
そのタイミングがけっこう厳しいタイミングでした。
この状況が1年続いたら、キャッシュが尽きる、というのが見えたタイミングでした。
会社も僕自身も一度リセットして、正しいと思っていたことを否定しないと生まれ変われないと思ったんです。
環境が180度変わりましたよね、、、
「人くれ、人くれ」だったのが、「全部いりません!」みたいな。
何を否定しようかと思ったかというと「派遣が良くないんじゃないの?」という。笑
何が良くないのかっていうと「時給単価を支払われてること」。
本当に生産性があるスタッフは切られてなかったんですね。
僕、うまくいってないことじゃなく、うまくいってることに目をつけて分析したほうがいいと思ってて。
このときにうまくいってる人たちは「モノを売ってる人たち」だったんです。
企業の売上が上がってるので、時給以上の価値があるということなんです。
だったら、スタッフの生産性を上げたほうがいい。だったら成果報酬でもらった方がよくね?って。
そこでBPOの営業代行にピボットしたんです。
当時、優秀なスタッフが多くて、どんどん売ってくるんですよ。
そういう人たちには、彼らなりの「ノウハウ」や「ナレッジ」があるんですよね。
それを誰もがわかるように明文化して、教育に落とし込んで、輩出すると、どんどんみんな売上が出るんです。
で、「いけるわ、スケールさせよう!」で、ピボットしたんです。
ハードシングスでしたけど、僕らにとっては必要なことでした。
リーマンショックが、自分自身も、会社も大きく変えるタイミングになったんですね~
シティクリエイションホールディングスの成長のプロセス
シティクリエイションホールディングス社の成長のプロセスにおいて、「M&A」は大きなトピックスだったと思うんですけど、
何件かやられてる中でやっぱり大きかったのが「コロナ禍での高級タルト キルフェボンのM&A」ですよね!
これはどういった背景があったんでしょうか?
僕らBPOからやってきたので、他社様のサービスを広めることをすっとやってましたが、
これをやってるとずっと「縁の下の力持ち」になっちゃって、社員の満足度が下がるんですよね。。。
「なんでうちにいるの?」って聞くと「人がいいから」って言うんですよ。
なんか、、、しっくりこなかったんです。こんな会社作りたかったわけじゃないのになって。
理想は「わが社の商品が好き」とか「ビジョンが好き」とか、そういう方向に向きたかったのに
「人のよさ」だとスケールしないな、と、変化しないとだめだなと。
で、また「BPOが悪いんじゃないか」みたいな笑
そうすると自社サービスを作らないといけないんですけど、
作るには優秀な人がいるか、サービスを持ってる会社があるか、になるじゃないですか。
そこで「M&Aもひとつの手段だよね」って。
うんうん。2021年5月にM&Aでグループ化したと。
当時、キルフェボン社が売上45億円、利益7億出していたときに、買収を決めたんですね。
コロナが続くかもしれないとか、いろんな憶測が飛び交う中で、結構なチャレンジですね、、、!
よくいきましたね笑
そうですね笑
僕らの中では勝ち筋があると自信があったんです。
当時、IPOを目指してたんですけど、、、
あ~、そのままIPO目指すか、キルフェボン社を買収するか、の経営判断ですね。
我々としてはM&Aが正解だと思うし、この先自分たちのやりたいことができるだろう、という判断でした。
そしてその2年7か月後に、また別の会社さんへ譲渡するという、
これもまたスピーディーな経営判断でしたね!
もともと売るつもりはなかったんですけど、、、
キルフェボンというブランドは車でいったらフェラーリと同じで、
価格を維持するには、高い需要に対して供給を絞っている状態がベターなんですよね。
店舗を出せば出すほど、売上は伸びるけど、自分たちのブランディングをを毀損する状態になるんです。
だから、国内で出せる店舗数の天井が見えていて、海外に持っていくことを見据えていたんですが
たまたまそこが得意なファンドさんからお声がけをいただいて、魅力的な提案だったので。
お互いのことを思うとそれがベターかなということで、そういった決断になりましたね。
経営者の立場からすると、コロナ禍に買った会社をファンドに売るって、えらい儲かったんだろうなと!!笑
どうなんでしょうか!
(爆笑)
もう一つ、大きなトピックで、すごいなって思うんですけど
キルフェボンを売却した2024年、その秋に東証スタンダードに上場している外食事業を展開するホリイフードサービスをグループ化!
チャレンジがでかくなってますね!!
東北一帯にあれだけのチェーンを展開している企業さんって、実は日本ではなかなかないんですね。
ブランドは「紋所」、「赤から」、「うま囲」とかですね。
はい。
株価的なところでいうと、コロナもあって、底値くらいの価格だったので、手をあげさせていただいたと。
当時、破産管財人が管理していた状態に、シティクリエイションホールディングス社が、挙手をしたと。
そして目下、ホリイフードサービス社のバリューを上げるため、奔走しているということですね。
はい、去年(2023年)の12月に取締役になりました。
会社として、未上場企業と上場企業を買うってことは大きなトピックスだと思うんですけど、
今後、ホリイフードサービスさんをどうしていきたいとかってありますか?
僕ら、TOBの前に全80店舗を回って、食べてチェックとかしたんです。
一番素晴らしいのは「人」なんですね。
若い方も多く、接客も素晴らしいですし、会社が好きっていう方が多いんですよ。
シティクリエイションも、何が日本で一番自信があるかというと「営業力」と「愛社精神」だと思ってます。
ここに関しては、たぶん日本で我が社に勝てるところってないんじゃないかと思うくらい自信があるんですけど
ホリイフードサービス社も愛社精神が強い方が本当に多くて、カルチャーが似てるなって思ったんです。
課題はたくさんありますけど、ひとつずつクリアにしていきながら、いい会社にしていけると
業績やバリューをもっともっと上げていけるな、と入ってすごく思いました。
高鍬さんが取締役に就任するって時点で意思表明ですもんね。
今後のシティクリエイションの成長について
高鍬さん、シティクリエイションホールディングス社を、この先5年、10年、どうしていこうと思ってますか?
2030年までに売上1000億、営利150億円というのを定量目標として掲げてます。
もともとは、「誰もが知ってる、使ってる、感謝する会社になろう」というのを掲げたんです。
ということは自社サービスをやらなきゃいけない、「シティクリエイションといえばあれだよね」という会社でなければならないと。
でもそれって定性的なので、定量にしようと思ったときに、売上1000億円の会社さんを調べたら、知らないところがなかったんです。
だからこの1000億円というのをひとつの定量として目指していくというのが、2030年までの10か年計画です。
イメージでいうと、営業マン一人当たりの生産性はキーエンス社を超える。
会社のベンチマークとしてはソフトバンクさん。
いろんな分野に精通されてて、それぞれで日本トップをとってるし、世界にも進出していますし。
ソフトバンクさんってやっぱりM&Aが非常に上手な会社だと思ってて。
ソフトバンク社も、事業をいい意味で変え続けてますよね。
最初孫さんが翻訳機作って、ソフトの流通会社になって、今は何屋さんなんだろう...?ファンド???
もう今、携帯からファンドに変わってますよね。
どの分野でもトップランナーですし、素晴らしいなと思いますし、志も本当に高いですし
我が社もそうありたいなって。
僕らは委託会社さんも代理店さんも使うんですけど、
社内の人間がキーエンス社並みに生産性が高い、能力が高いっていう状態を作って、
そこ(ソフトバンクさんのところ)に持っていく、っていうのが今目指している姿です。
実際、シティクリエイションホールディングス社も、 どんどんいろんな事業を買って、ピボットし、売って、を繰り返されてるんで
プチソフトバンクを体現してますよね!
それを拡張していくってことですよね!
本日はシティクリエイションホールディングスの高鍬さんにお越しいただきました!
どうもありがとうございました!